あっという間に1月も20日を過ぎ、節分も間近となってしまいました。
 「めでたさも 中くらいなり おらが春」という小林一茶の句ではありませんが、ほどほどの幸せで、穏やかに過ごせたらという庶民の夢も、一瞬にして奪われる時代。
 誰がこの冬の豪雪を予測したでしょうか。
 我が世の春を謳歌したライブドアのホリエモン、一夜にして奈落の底に突き落とされたのは、本人にとっては予期せぬ落とし穴であったにせよ、自分で招いたこと。巻き添えを食った、第三者の個人投資家にしてみれば、全く晴天の霹靂、一寸咲は闇を絵に描いたような結末となり、怒りをどこにぶつけたらよいのか、気も狂わんばかりの心境と察します。が、それとて、世をあげて、インターネットによる株の売買を謳歌したリスクを、もろにかぶってしまった結果ですから、その危険は、決して予想外ではないはずです。
 こうなると、何を頼りに日を送ったらいいか。少しく我が身を振り返って見る必要がありそうです。
 仏教の立場でこれらの事象を捉えるなら、諸行無常に尽きます。おごれる者久しからず「平家物語」の世界に限られた事ではなく、古より現代まで繰り返された歴史の続編に過ぎません。
 現代に生きる私たちは、経済と無縁の存在で生きていくことは出来ません。お金がなければ生活できません。それでも、お金だけが全てではありませんし、そのお金は次のお金を生むために使うというより、人間らしい生き方を築くために使うべきではないでしょうか。
 「めでたさも 中くらいなり」と申しましたが、自分の身の丈にあった「幸せ」を喜ぶべきであって、欲を出すことから間違いが始まるようです。
 「欲を少なくすることから、心の安らかさが生まれる」の境地。70歳の老人にはふさわしくとも、20歳、30歳に若者が無気力では困ったものです。若い人は、多少、欲を出して頑張ってもらいたいものです。近頃、あえて定職を求めない若者が増えているようですし、一つの仕事に一生をかけるというより、次から次に職を変えていく生き方も認知される社会となりました。
 お寺にお参りになる方は、若者というより、親の年代です。とっくに成人になった息子に対する悩みが持ち込まれます。
 「思うようにならない」=「苦」 というお釈迦さまの時代からの悩みは、2500年後の今日も尽きることはありません。