いつの間にか12月。あっと言う間に明日は20日。新幹線並みのスピードで時が過ぎます。

「忙しい」とあらわす「忙」心をなくすという意味だと言われれば、多忙であっても、使いにくい語です。漢字の六書では、「諧声」に属し音がボウであるから意味を表わす「�集」に「亡」という発音記号を用いたと思います。漢字には「形」「音」「義」があり、その成り立ちによって「象形」「指事」「会意」「諧声」「転注」「仮借」がありますから、漢字研究の学問としては、「文字音韻学」となり、随分複雑で、奥深い難解な分野です。心を亡くす位で決着するものではありません。
それでも漢字の世界は、説法に引用しやすく、人と言う字は、支え合って生きる姿だと、本来の漢字の成立と異なった新設が登場します。

私たち僧侶は、いかにして仏法を説くかに腐心しております。お釈迦さまの説法は八万四千の法門と言われ、その時その時に応じ,聞く相手に応じて、さまざまな説法を展開されていますから、その一部だけを持ってきて、「これが釈迦の説法の真髄です。そのほかは無価値です。」というのは、如何なものかと思いますし、仏教は、もっと幅広く柔軟な教えではないでしょうか。もちろん、その一つを信じることも、意味あることです。
柔軟な心、広い視野で物事を見つめていただくことをお奨めします。心に鎧をつけ、自分の信念はどんな言葉にも揺るがない。決してよそ見はしない。という人を見かけますが、いろいろの世界が沢山あるのに、目もくれない。では可哀想です。

般若心経の世界、法華経の世界、阿弥陀経の世界。日常的に親しんでおりますお経ですが、それぞれの世界があります。

朝題目,夕念仏の天台宗ならではの、まとめとなりましたが、近頃、知る人の葬儀が頻発するにつけ、生きていることの値打ち考えさせられております。

このようにして、今年も暮れていきます。
在家仏教協会から講演の依頼、福岡会場で4月24日(金)15時からという日程です。演題は「あるがままに」-気取らない生き方のすすめー と致しました。
それは、私にとっても、かくありたいという願いです。そんな心境で一日一日を過ごせたらと念じています。