6月初め、東京から姉妹のお客さんを迎えました。お父さんが、大興善寺のあります「小松」の出身で、ずっと古い昔の家が残っており、土地もかなりありましたので、昭和20年(終戦の)頃、福岡市から、家族ともども田舎に引っ越して見えました。子供さんも小学生で、私の妹などと一緒に、一里(4キロ)の道程を歩いて学校に通っていたと思います。

それは、60年以上も昔の話ですが、30年前頃お父さんがなくなられ、お母さんは、昨年5月100歳を越えた長寿で、ご他界された由でした。

その子供さん姉妹が久しぶりに、大興善寺を訪ねられ、ともども昔の思い出などを語らい、懐旧のひと時を過ごしました。二人とも東京に縁づいて、70歳前後の年配です。「父のふるさとの小松を訪れるのも、これが最後でしょう」という寂しいお話ですが、「そうおっしゃらずに、何度でもお出で下さい」と言うご返答もできかね、お二人は、菩提寺の常行寺さんへと向かわれました。

母の一周忌に際し、子供の頃の思い出を辿って、お参りいただいたこと、「これが最後と思います」のお言葉は寂しいながらも、お会いできたことは嬉しいことでした。

私が小学校に通っていた頃は、この村でも5人の同級生でした。それが村に残っているのは、私一人。みな、村を離れて、生活しています。
同級生の友人は、皆、ふるさとへの思いを持って、帰郷の折、思いがけなくお寺に立ち寄って、昔、お寺で遊んでいた思い出を懐かしんでくれますが、その子供さんの代になれば、事情が違ってきます。

子供の頃、父母に連れられて、実家に里帰りをしていた家族は、思い出を語っていた父母を偲んで、お寺にお参りして、父母の心に共鳴をしてくださいます。

村の出身の方で、望郷の念から、大興善寺で納骨堂を新築した時、奥様や、お子様とご相談の上、ご加入いただいた方もあります。その方は、私より、はるかに年上で、新婚の頃から奥様を伴ってご参拝なさっていました。本堂にお泊りになったこともありました。
ご主人様が亡くなられた後は、すっかりご高齢になられた奥様と、ご長男夫妻、お孫さん(結婚して家族もいらっしゃいます)そろってご参拝になります。

村出身の方が、いつもお声を掛けて下さる訳ではありませんが、お寺は、ふるさとを離れた人には、シンボルの役割を果たしておりますし、そうでなければならないと思います。
ふるさとの父母に代わって、暖かく受け入れる役割が果たせたら、お寺の存在価値も上がります。 

お寺を預かる私たち僧侶の役割として、心せねばならぬことの一つです。