お観音さまの縁日、今朝は、恒例の護摩供でした。9月と10月、僅か一月ですが、気温の差は随分激しいものです。これほどまではっきりと季節の移ろいを感じた月はありません。九州は夜明けが遅いので、6時は、ほの暗いといった感じで、新聞の字は見出しだけしか見えません。6時の梵鐘を撞いて護摩祈祷となりますが、今からは、月ごとに寒くなって参ります。毎月17日毎に季節を感じて、淡々と日常の営みが展開します。
来月17日は、紅葉シーズンの入口程度の色付きと思いますが、今は青々としたイロハモミジです。そして、その次の17日は、今年最後の17日と言った具合に、光陰矢の如しです。

今日、お昼は、檀家さんの17回忌のご法事で、法要のあと、ゆっくりと会食をさせて頂きました。平成6年10月17日に亡くなられた今日の仏さまは、昭和6年生まれのお方で、亡くなられた年の夏、病院からちょっと抜けてご参拝になられました。「私はあと僅かの命ですが、力の続く限り楽しく生きたい」とおっしゃった思い出が、昨日のことのように甦ってまいります。あの頃、幼稚園児だったお孫さんが大学生とのこと、私もその時は59歳だったと、懐古のひと時でした。

今日は、地域の「おくんち」で、あちこちに幟がはためいておりました。今では、日曜日の行事となっていますが、本来17日の行事です。昭和30年代40年代位までは親戚の人も集まって、それぞれの家庭でも赤飯を炊き甘酒を作ってお祝いの宴が催されていたようですが、今は、親戚の行きかいもまれになり、寂しい限りです。町の無形文化財として、お宮さんの神事は続行されていますが、昔のように、お店が出て、人が大勢集まるということなくなり、地域ごとに割り当てられた氏子の当番の皆さんが出てきて、行事だけは続行されているものの、人手が足りなくなってきたというお話も聞きます。

基山町内では、宮浦の「荒穂神社」、園部の「宝満宮」二つのお宮で昔ながらの行事が続いております。両神社とも、以前は神職さんがおられましたが、今は不在。事に当る世話人の皆さん、随分苦労なさっているようです。振興策も練られているようですが、何か現代にアピール出来る行事と組み合わせて、集客の手立てがほしいものです。
それにもまして、お祭りの意義が、文化財の保護だけになって、神事を通して、人智を超えた大きな力を崇敬し、自然への感謝を捧げ、地域共同体としての連帯感を深めるといった伝統が失われていくことは、大問題です。まして、地域の役員が、宗教の違いから、お宮の行事にタッチしない、ということになっていけば、これも事、重大です。

宮司さん不在のお宮さんは、増えています。村がなくなっていくように、このような伝統も消えていくのでしょうか。