紅葉シーズンが終ると、大興善寺は、もとの静寂に戻ります。

祈願を主にした参拝者との触合い。お地蔵さんやお薬師さんなど村落にお祀りする小堂での経典読誦、12日お薬師さん、14日慈覚大師さん、15日仁王さんと続きます。食事を共にして四方山話に花を咲かせます。
少ない檀家ですから年回のご法事が重なることは稀ですが、副住職と手分けして法務をこなしております。

古い昔ながらの村々の行事は、今、一つの岐路に立っています。村全体が農耕者の集まりで、協同歩調が取りやすかった、ひと昔前と違って、回りが田畑の農村地帯に住んでいても、農家は少なく、会社勤めが大部分。農業は会社勤めの片手間、場合によっては委託で、家庭で食べる野菜さえ作っていないおうちもあります。
そこへ、豊年のお祭りとか、風止めの祈願などの村の行事があっても、生活に直結したものではないだけに、意義を見出しえない傾向が、年々強くなっています。

村々の集いは、生活共同体として連帯感を生み、年配者から若者へと引き継がれ、一つの秩序が自ずから出来ておりました。これは、宗教という感覚でなく生活そのものであったと思いますが、近年、自分の信仰と相容れないということから、村の行事に加わらないという事があって、世話をしているリーダーが困っている例や、村の仲間に加入したいといっても、信仰上の理由で村の行事に参加出来ないなら加入お断わりなど、まとまりにくいようになってきました。

一見、平穏無事。何も変わりない農村風景ですが、人々の意識は、随分変わってきました。それでも「村を愛する」とか「昔ながらの伝統を守る」という視点での、現代にも適合する「地域づくり」を求めなければ、ばらばらの集合体です。今こそ、楽な方に流れていく世相に、あえて逆らい、ふるさと再生の運動を起こすときではないでしょうか。