今朝、護摩供を修しながら、戸津説法前の最後の護摩になったことに感慨を禁じえませんでしたが、肝心の説法の心構えは定まりません。周囲の方は、どなたも「大丈夫ですよ。」と励ましてくださいますが、当の本人は、何を読んでも頭に入りません。心配だけが先行している現状です。

仏教青年会時代、鍋島隆潤師から、圓頓章講義で「天台宗の安心は 穢れの心そのままに真実世界に遊ぶなり」と教わったことを思い浮かべ、「諸法実相」「十如是」の意味を一生懸命理解しようと努めているところですが、これから先が見えません。
説法を目前に何をぼやぼやしているかと、皆様のご怒りになっているお顔がチラチラしている現状です。

お釈迦さまが、「難しいから説くのをやめようか」とおっしゃるくらいですから、難しくて当然なのかもしれません。でも大勢の人を目前に、お話できる事があるだろうか、自悔の念に駆られております。

私がまだ若い頃、天台宗布教師連盟が発足し、九州で研修会がありました。その時、講師を勤められた真如堂貫主の「森 観涛先生」は、じっと目をつむり、法華経の第1巻から順に「序品第1」「方便品第2」と諳んじた内容を、ボソリボソリ講義なさいました。そして、次々に受記されていくさまが,語られていきます。「法師品」くらいで時間が来てお話は終わりました。その時、質問をなさった方があり、「天台の法華経と日蓮宗の法華経はどう違うか」といった内容だったと思います。その時、森先生がどのような回答をなさったか、司会をしておりました私も、それは忘れておりますが、たくさんのお弟子さんを養成されたり、行院の院長をなさっていた森大僧正に初めてお目にかかりました記憶が、ふと蘇って参りました。