「亡き人の思い出」に、また、親しかった人の名を加えなければならなくなりました。朝倉市秋月の「大安寺住職朝妻順慶師」です。私より3年年上でありましたが、同じ福岡県の教員仲間で、現役時代は、中体連のお世話もなさって、旧甘木市でご活躍のバレーの指導ではかなり名の通った先生でした。小学校の校長を最後に定年退職ののちは、宗門の方でも、何かとお役をお願いして、教区の仕事を受け持っていただきました。

国鉄に勤めておられた「大安寺」先代住職は、昭和20年代、汽車の切符が手に入りにくい頃、私の師匠「神原玄祐師」のため、切符を手配してくださった方で、朝妻師がおられなかったら、父も、とうてい京都大津に、度々出かけることは叶わなかったと思えば、実に、「神原玄祐」を影から支えてくださった功労者でした。そのお父上は、60歳を過ぎたばかりで、かなり早く亡くなられたので、その後、転師して「神原玄祐」の法嗣になられますので、私とは、弟子兄弟の仲でもあります。そして「順慶師」は、私の宗務所長時代は、「一隅を照らす運動地方本部事務局長」や「教区主事」、あるいは「教区議会議員」として、所長をしっかり支えて下さいましたので、親子2代にわたり、大興善寺がお世話になった「大安寺さん」です。親切で、よく世話の行き届くお方で、地域の仏教会会長というので福岡県の仏教会にも、お顔を出されていたほか、保護司としては、市の保護司会会長を勤めて、多方面で地域の活動をされています。スポーツマンで、いささかお酒の方も嗜まれていたと存じますが、布教師会の方でも、よくお目にかかっておりました。楽しいお方でした。
九州西教区では、毎年檀信徒会会報が発行されていますが、これは朝妻先生が檀信徒会担当時代に始まったことで、その面でもお骨折りいただきました。言い出しは檀信徒会の役員さんでしたが、実際に中心になって仕事をしていただいたのは、朝妻先生でした。それでも、その当時から、編集会議や校正の仕事に、檀信徒会役員さんも見えておりましたので、独特の活動が展開しておりました。そして、その流れは、今も継承されているようです。

一人二人と、櫛が欠けるように、周りから同じ時代に活動した友人先輩が消えていかれることは、辛いですね。

謹んでご冥福をお祈りします。